アリスのしっぽ

何せうぞ くすんで  一期は夢よ ただ狂へ

永遠の憧れー坂東玉三郎さんー

 「鏡よ鏡、この世で一番美しい女性は誰ですか?」
おとぎ話の台詞であり、一番~という表現はあまり好きではないが、思い浮かべる人は複数いる。その中の一人が歌舞伎役者の坂東玉三郎さんである。歌舞伎ファンでなくてもおそらくすぐに姿形が思い浮かぶであろう不世出の女形で現人間国宝。得意な演目は多数あるし、若い頃は現代劇やバレエの舞台、映画などにも精力的に出演されていた。


   私が忘れられない演目は、歌舞伎十八番の一つ「助六」の中で演じられる花魁揚巻(あげまき)役である。その衝撃は私がまだ大学生の時だった。当時絶頂の人気を誇っていた「孝・玉コンビ」ー片岡孝夫(現片岡仁左衛門)と坂東玉三郎ーによる人気演目、加えて助六役を孝夫さんが初めて演じるということで公演自体の注目度も高かったように記憶している。

 昔話である。何しろ故十二代市川團十郎さんがまだ海老蔵時代で、さらに故中村勘三郎さんなどは「勘九郎ちゃん」とよばれていた頃である。自分の感情にも昔を懐かしむ感傷的なものが多々含まれているだろう。しかし、あの時、歌舞伎座の一番安い席に、花道から主役が出てくるところなど全く見えないその席に、揚巻としての玉三郎の圧倒的なオーラは確かに届いていたのだ。


  安い席と書いたが、旧歌舞伎座のチケット代を調べてみると一番安いのは三階b席の二千円で学生割引があるのは幕見席という一幕のみの当日券と書いてある。ただ私は前もってチケットを購入していたので記憶違いなのかもしれない。

 

 閑話休題。さて、その揚巻の登場シーン。まず鈴の音が響き渡り、揚巻以外の花魁たちが舞台に登場する。とても華やかな演出である。「○○屋!」もとびかう。揚巻だけが姿を見せないので皆「ほんに揚巻さんおそいわいな~」と待っている。

そのあとすぐに彼女が登場する(私の席からは見えない)のだが、その瞬間に「客席が息を呑む空気」‐ため息とも歓声ともつかない‐が拍手とともに流れてきたのがはっきり見えたような気がした。

花道とはよくもまあ名付けたものだ。本当に波のように美しいオーラが花道をつたって私のいる席にまで届き、ほどなくして酔っている花魁揚巻が私からも見える場所に姿をあらわした。その美しさたるや今こうして思い返して書いていても鳥肌がたつ程の圧倒的な「美」そのものだった。


  こうして孝夫さんと玉三郎さんは私の中で理想のカップルの一組となった。その舞台は「今」見ようとしても(あたりまえだが)叶わない夢なので、余計に思い出は美化される。まさに生の舞台は一期一会である。歌舞伎に限らずオペラやバレエ、オーケストラやアイドルのコンサートやロックフェスなども含めて、その時のその公演の空間はそこにいた人にしか味わうことのできない特別な空気感で満たされている。映画やDVDなど、映像に残っていればありがたいのだが、反面演じ手とすれば映像に残せば良いというものでは無い、という思いもあるだろう。舞台芸術とは本当に奥が深いな、とあらためて思う。