アリスのしっぽ

何せうぞ くすんで  一期は夢よ ただ狂へ

涙のバレエ・シューズ

  まず初めにおことわりしておきますが、これはバレーボールの東洋の魔女の話ではなく(古いな…)、靴に画鋲をいれられて涙にくれる美少女バレリーナの話でもありません。田舎育ちの無知な「私」にまつわる多々あるちょっとおばかなエピソードの一つです。

  当時小学三年生だった私は、とにかく「バレエ」が習いたかった。もちろん茨城県の県西地区、下妻市のはずれの片田舎にバレエ教室などあるはずもなく、また憧れだけでできる習い事でもない、ということは重々承知していた。
  だったら、せめてあのすてきな「バレエ・シューズ」がほしい。フリルが素敵なチュチュ(バレエの衣装)なんて贅沢はいわないから、せめて足元だけでもバレリーナの気分を味わってみたい!と考えた末、ついに私は勇気をだして母におねだりをした。
「お母さん、私バレエ・シューズがほしいんだけど……」
とある秋の穏やかな日、庭先の縁側でやっとの思いで切り出した私に対し母はあっさり、
「あーいいわよ今から買ってくる?」と一言。
耳を疑うと同時に天にものぼる気持ちが押し寄せた。


  母からもらったお金を握りしめ、徒歩三分ほどの靴屋さんに、気持ちの上ではスキップをしながら買いにいった。どうしても自分で買いたくて、母を制して一人でいった。わずか三分の道すがら、私は何回も何回も練習した。「すみませーん!22センチのバレエ・シューズください」と。せまい田舎である。もちろん顔見知りのご近所の靴屋さんなのだからそんなに緊張しなくても、とは思うがなにしろ「初めてのおつかい」さらにそれがあの憧れのバレエ・シューズである。いやが上にも気持ちは高揚し、頬が自然に緩んでくる。落ち着け自分!

 

ついにお店に入り、私はせいいっぱいよそいきの声で明るくこう言った
「こんにちは!すみません22センチのバレエ・シューズ下さい!」
出てきてくれたお店の奥さんも
「はいはいあら、こんにちは22センチのバレエ・シューズですね、一人できたの?えらいね」                 

とやさしく応対してくれた。何て順調なんだ、こんなことだったらもっと早くおねだりして買いに来ればよかった、と思いながらビニールの手提げ袋にいれてもらったバレエ・シューズを大事に抱えて家に戻った。

 
  逸る気持ちは抑えられず、家にも上がらずに再び縁側に腰かけて私は宝箱をあけるように箱を開いた。まばゆいばかりの薄いピンクの光が目にはいる……はずだった。
 しかし、私の眼に飛び込んできた憧れの「バレエ・シューズ」は何と言うことか、小学校でいつも履いている「上履き」だった。あれ?これ上履きだよね?と思って箱を確認しても、箱にちゃんと月星(有名メーカー)バレエ・シューズと書いてある。

そこで、初めて私は気がついたのだ。自分がとんでもない思い違い(言い間違い)をしていたことに。私が思い描いていたのは「バレエ・シューズ」ではなく、「トウ・シューズ」だったのだ。なんで間違っちゃったんだろう……。トウ・シューズ、トウ・シューズピンクのリボン、キラキラ光る、ピンクのサテンのトウ・シューズ。何回唱えても後のまつりである。
  少し考えればわかる事なのだ。トウ・シューズなんて普通の靴屋さんには売っていない事。1~2千円で買えるものではないという事。さらに、バレエを習っている人でもトウ・シューズを履けるようになるまでには時間がかかる事。私が浅はかだった、それだけの事なのだ。


  しかし、あの箱を開けた時の絶望感と上履きのまぶしい白さは、五十年たった今でもその庭の風景と共にはっきり思い起こせるのは不思議なものである。これには後日談はない。記憶はそこでとだえている。つまりその後はいつもどおりの「日常」になり、上履きもおそらく名前を書いて、学校に持っていって極当たり前に上履きとして使用していたということなのだろう。母にも自分の間違いを笑って言えなかったのは、ショックが大きすぎたのと、おねだりをしてしまった恥ずかしさからなのだろう。もしかしたら母は気付いていても黙っていてくれたのかもしれない。


 その時の「涙目で上履きを見つめながら縁側に座っている私」に今の私はどんな言葉をかけてあげられるだろう。いや、やはり気づかないふりをするのが一番。失敗、反省を繰り返し、それを自覚しながら人は多分成長していくのだろう。